【映画評】空気人形 (2009)
心を持ってしまった空気人形が“孤独”の息づく街・東京で繰り広げるラブ・ファンタジー。
『誰も知らない』(2004年)、『歩いても 歩いても』(2008年)の是枝裕和監督が贈る大人のための切ない寓話。
空気人形“のぞみ”を演じたペ・ドゥナの体当たりの熱演が映画に息を吹き込んだ。
東京の片隅の古ぼけたアパートで暮らす秀雄(板尾創路)は、うちに帰ると食事をしながらビニール製の空気人形“のぞみ”に語りかけ、この型遅れのラブドール(ダッチワイフ)相手にセックスをする孤独な男。
ある雨上がりの朝、身支度をする秀雄の傍らで、“のぞみ”は瞬きをした。秀雄が仕事に出かけると、“のぞみ”はベッドから抜け出し、窓の外の世界を見てつぶやいた。「キレイ」と。
こうして心を持ってしまった空っぽの空気人形・のぞみ(ペ・ドゥナ)は、秀雄が買ってくれた洋服の中からメイド服を選び、街に飛び出した。
目を輝かせながら街を闊歩するのぞみ。この街に暮らす様々な人々とすれ違ううち、彼女はあるレンタルビデオショップに行き着き、そこで働く純一(ARATA)と出会う。それが儚くも切ない恋の始まりだった…。
華やかな都会のイメージからはほど遠い、どこか時の流れから取り残されたような東京の下町をたゆたうように切り取った美しい映像と、ペ・ドゥナの圧倒的な魅力が目に焼き付くラブ・ファンタジー映画の傑作。
「ラブ・ファンタジー」と言ってしまうと、かわいらしいペ・ドゥナのメイド服姿からも、ほんわかとした楽しいメルヘン映画を想像してしまうだろうが、内容的にはもっとずっと辛辣。
また、映倫の「R15+」指定が物語るように、生々しい性描写も少なくない。
寂しくも哀しい、現代を生きる人々に巣くう孤独と喪失感に胸を締め付けられる、まさに大人のための“毒”のある寓話だ。
しかしそれでも、この映画にはどこか心安らぐ優しい空気が漂い、満たされることのないこの世界にも「キレイ」はあると実感させる不思議な力がみなぎっている。
それは有形無形問わず、人々が関わり合いながら生活する、普遍的な人の営みを肯定的に捉えようとする、あたたかい視線がそう感じさせるのだろう。
すべてをさらけ出した熱演で心を持ってしまった空気人形役に挑んだペ・ドゥナがとにかく素晴らしい。
ビニール製の空っぽの身体、そこに宿った赤ん坊のように純粋無垢な心。
彼女の一挙手一投足は人形そのものなのに、ほかのどの登場人物よりも表情豊か。
一見孤独感に埋め尽くされたかのようなこの世界が、そのガラスのような大きな瞳には、いかに「キレイ」に見えているかを体現していて感動的だ。
幼子のように興味津々で街を歩くぎこちない仕草に始まって、恋にときめく笑顔、初めての恥じらい、愛する人とともにいる喜び、悲哀、迷い、とまどい、切なさ、と、めまぐるしく変わるその表情は、まるで幼女から少女、少女から大人の女性へと成長する人生の縮図を見ているかのようでもある。
ことに、ひょんな事故で空気の抜けた身体に好きな相手から息を吹き込まれたときの彼女の恍惚とした表情が絶品で、かくも艶めかしく神々しい。
それは言うまでもなくメタファーとしてのセックスなんだが、恥じらいの中に浮かび上がるエロティシズムと同時に、愛される女性の悦びをこれほどまでに大胆且つ美しく見せた女優をほかに知らない。
気合いの入った演出も相まって、不完全な本当の姿を見られたとまどい、スカートを捲し上げられる恥じらい、瀕死の状態から救われる安堵、愛する相手から満たされる悦び、それらの感情が渾然一体となってほとばしるこのシーンは、映画史上屈指の甘美な名シーンとして語り継がれるだろう。
他者との関係性が希薄になった現代社会に鋭く切り込んだ詩的な映画として様々なキーワードがちりばめられている本作だが、人間ならざる異端の存在が現実世界に放り込まれるファンタジー映画としてこの映画を考察すると、二つの側面が見えてくる。
《では続きをどうぞ》
まずは心を持ってしまった空気人形の物語であるという側面。これは彼女と持ち主・秀雄との関係性だ。
空気人形“のぞみ”は性欲処理の代用品としてこの世界に生まれ、純一と出会ってからも、当初は何の疑問も抱かず毎晩秀雄の元へと帰り、セックスをする。
純一との恋が発展するにつれ、彼女は秀雄のことをいとわしくなり、彼を避けるようにはなるのだが、それでもそこがのぞみの帰る家であり、決定的な別れとはならない。
別れが決定的になるのは、秀雄が別の人形“もう一人ののぞみ”を連れて帰ってきたからだ。
のぞみはそこで自分が代用品であることに気づき、激しく傷つく。
彼女は秀雄に「元の人形に戻ってくれ」と言われショックを受けるが、そう言われるのは当然だ。そこは空気人形としての居場所であり、秀雄にとってののぞみは代用としての空気人形なんだから。
別の側面から見ると、彼女は空気人形という器に産まれた人間と変わらぬ心という見方もできる。これは彼女の務めるレンタルビデオショップ内での関係性。
そこでの彼女は、見た目はともかくその心は普通の人間と何ら変わりない。普通の女の子と同じように恋にときめき、胸の高鳴りにはにかみもする。
純一の前でののぞみは、自分の身体が空っぽであること、普通とは違う身体であることに引け目を感じているようだ。これとて普通の恋する女の子が何らかのコンプレックスを抱えている姿そのものだろう。
人並みの幸福を満喫していたのぞみだが、彼女は純一にとっても自分が元カノの代わりであることを知ってしまう。
代用品としての自分の存在理由に悩むのぞみは、やがて自分の起源である人形師(オダギリ・ジョー)の元を訪れる。
ここでのぞみは、空気人形としての自分を受け入れるわけだが、それは自分がそこで生まれた空気人形であることを再確認したからではなく、自分も他の人形も、かけがえのない「それぞれの心」を持った上で死んでいくことを知ったから。
さらに決め手は、人形師の言葉によって、空気人形の中に産まれたのぞみの心の起源である“世界にある「キレイ」”を再確認できたからではないか。それを受けての「生んでくれてありがとう」なのである。
この世界に産まれた心としての帰る場所は、当然純一の元だ。
ここまで心の成長記とも言える様々なのぞみの感情を見せてきた是枝監督の視点は、心の持つ残酷さも見逃してはいなかった。
空気人形としての自分を受け入れたのぞみの「なんでも貴方が望むように。私はそのために生まれてきたのだから」という言葉に対する純一の「君にしかできないこと」も酷なものだと思ったが、さらにその上をいくのぞみの愛ゆえの衝動は、無垢な心が持つ残忍さを露わにする。
誰かのための代用品として生まれたのぞみは、自分自身がこの世界に産まれたことを祝福してくれる人々を夢見ながら風になった。
愛された証である吐息から生まれたその風が、見知らぬ誰かの元に花の種を運び、真に空っぽになった彼女の亡骸、そして空っぽな彼女の集めた空っぽな空き瓶の煌めきが、満たされることのなかった空っぽな誰かに新たな「キレイ」な心を宿したことを知らぬまま。
他者との関係性に気付けぬ人々が孤独であるように、のぞみは最期まで気付いていなかったのかも知れない。彼女のビニール製の身体を支えていたのは、彼女が「キレイ」と言ったこの世界を満たしているのと同じ空気なんだということを。
作品データ - Film Data
- 【キャスト】ペ・ドゥナ/ARATA/板尾創路/高橋昌也/余貴美子/岩松了/丸山智己/奈良木未羽/柄本佑/星野真里/寺島進/裵 ジョンミョン/桜井聖/オダギリジョー/富司純子
- 【声の出演】吉村実子
- 【監督/脚本/編集】是枝裕和
- 【製作】川城和実/重延浩/久松猛朗/豊島雅郎
- 【企画】安田匡裕
- 【原作】業田良家「ゴーダ哲学堂 空気人形」
- 【プロデューサー】浦谷年良/是枝裕和
- 【アソシエートプロデューサー】加藤悦弘
- 【ラインプロデューサー】田口聖
- 【撮影監督】リー・ピンビン(李屏賓)
- 【美術監督】種田陽平
- 【美術】金子宙生
- 【照明】尾下栄治
- 【録音】弦巻裕
- 【装飾】西尾共未
- 【衣装デザイン】伊藤佐智子
- 【ヘアメイクデザイン】勇見勝彦
- 【助監督】西山太郎
- 【スクリプター】飯塚美穂
- 【キャスティング】新江佳子
- 【制作担当】新野安行
- 【人形デザイン/原型】寒河江弘
- 【造形/特殊メイクスーパーバイザー】原口智生
- 【音楽】world's end girlfriend
- 【音楽プロデューサー】佐々木次彦
- 【製作】「空気人形」製作委員会(エンジンフィルム/バンダイビジュアル/テレビマンユニオン/衛生劇場/アスミック・エース エンタテインメント)
- 【制作プロダクション】テレビマンユニオン
- 【宣伝】アスミック・エース/る・ひまわり
- 【配給】アスミック・エース
- 【日本公開】2009年
- 【製作年】2009年
- 【製作国】日本
- 【上映時間】116分
- 【公式サイト】http://www.kuuki-ningyo.com/
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こんばんは。
見事なレビューですね。
この映画は色々な解釈が可能だと思うのですが、私が読んだ中で一番納得しました。
ぺ・ドゥナという最高の表現者を得て、是枝監督が切り開いた新境地だと思います。
公開規模が小さいので仕方が無いですが、意外と観ている方が少ないのが残念です。
投稿情報: ノラネコ | 2009年10 月 3日 (土曜日) 00:16
>ノラネコさん
公開初日に自分が観たシネコンでも100席強の狭い箱で、なおかつその客席の三分の一も埋まっていなかったです。
R15+という内容が内容だけに、客層がかなり限定されてしまうから仕方ないんでしょうが、今年を代表するといっても過言でない、いい映画なので、もっと多くの人に観てもらいたいですね。
投稿情報: かみぃ@管理人 | 2009年10 月 4日 (日曜日) 13:54
素晴らしい考察ですね。もう一度映画館に足を運びたくなりました。
私自身見終わって1週間以上も引きずる映画は久々で、上映中も張り詰めていたというか、身体中が妙な緊張感でいっぱいでした。
今考えるとそれだけ集中させる魅力がある作品だということなのでしょう。
投稿情報: かるがも | 2009年10 月 7日 (水曜日) 10:08
>かるがもさん
コメントありがとう。
セクシャルな映画はその題材だけで映画館での鑑賞に緊張感が伴いますからね(笑)
できる監督は、俗に言う「サービスカット」なエッチシーンでそんな緊張感が高まることも計算して、あえてそういうところに忘れて欲しくない伏線や作品の主題と直結するようなセリフを忍ばせたりするようです。
感銘を受ける素晴らしい映画だと、綴りたい感想もいっぱい湧き出てきます。
ほかの方のレビューを読んでいると、まだまだ見逃している点がありそうなので、僕も今一度劇場で観てみたいと思っています。
投稿情報: かみぃ@管理人 | 2009年10 月 7日 (水曜日) 21:33
今晩は☆彡
コメント並びにTB頂き、ありがとうございました!
いやあ素晴らしい記事を読ませてもらい・・・。
改めて映画の核心を知ったような気がします。
上手く表現できず、モヤモヤしていましたが。
読ませて頂くと、おっしゃるように男のファンタジーとは
違うような気がしてきました。
投稿情報: mezzotint | 2009年10 月 7日 (水曜日) 22:30
>mezzotintさん
ラブドールという赤裸々な題材ゆえに、女性は引いて観てしまうとは思うのですが、のぞみの“心”を巡るラブストーリーとしては、秀雄という夫がいながらバイト先の純一に走る不倫ものみたいな構成で、のぞみの心境は女性の方が思い当たる、身につまされるんじゃないかと思うんですよね。
そんなわかりやすい三角関係を軸にしながら、現代社会を見据えた哲学的な主題を、観念的、詩的な表現で描いてみせて、観る人なりにいろんな受け止め方ができるのも、この映画の面白さだと思います。
投稿情報: かみぃ@管理人 | 2009年10 月 7日 (水曜日) 23:45
こんばんは、はじめまして。
肯定感あふれるすばらしいレビューに、それもそうだなと納得します。
ラストの場面のゴミが「燃えるゴミ」なのか「燃えないゴミ」なのか
いまだ気にかけています。
朝みんながゴミ出ししていましたので
やっぱり「燃えるゴミ」ですね。
でも燃えないゴミも一緒だったような気がしてほんとはどちらなんでしょう。
とても大事な場面だったような気がしました。
投稿情報: keyakiya | 2009年10 月 9日 (金曜日) 21:18
>keyakiyaさん
最後のゴミは、人間と人形の差なんて燃えるゴミと燃えないゴミの差ぐらいしかないというセリフに呼応したものですから、「燃えないゴミ」だったと思いますよ。
「朝みんながゴミ出ししていました」から「燃えるゴミ」となる理由付けが解らないのですが、地方によっては燃えないゴミをゴミ出ししないところもあるのでしょうか?東京在住のうちでは普通に燃えないゴミもゴミ出ししていますから。
keyakiyaさんのブログでの感想も読ませていただきました。
「この映画は性的興奮を狙った確信犯的AV作品です」と断言されるような方からすれば、うちのように絶賛したレビューは必ずしも相容れないでしょうに、好意的にコメントいただき嬉しく思います。ありがとうございました。
投稿情報: かみぃ@管理人 | 2009年10 月10日 (土曜日) 16:21
コメントありがとうございました。
>彼女のビニール製の身体を支えていたのは、彼女が「キレイ」と言った
>この世界を満たしているのと同じ空気なんだということを。
このまとめ方が素敵です。
私も、この映画について考えれば考えるほど、もう一度観たいなと思ってきます。
投稿情報: *yuka* | 2009年10 月11日 (日曜日) 21:19
>*yuka*さん
刺激的な題材である一方、一筋縄ではいかない抽象的な演出で、いろんなことを感じさせてくれる映画でした。
楽しい映画とは違うはずなんですが、また観たくなってしまいますね。
投稿情報: かみぃ@管理人 | 2009年10 月12日 (月曜日) 12:48
Cnoteのkenkoと申します。
コメントありがとうございました!
いちおう自分も女子の端くれであるせいか、どちらかというと
「空気人形という器に産まれた人間と変わらぬ心」の方に寄り添って観ていたと思います。
でもどんなに普通の女の子に見えても、人形は人形でしかないという現実を
容赦なく突きつけてくるところが、観ていてとてもつらいのだけど
物語として素晴らしくもありました。
投稿情報: kenko | 2009年10 月15日 (木曜日) 13:46
>kenkoさん
決して楽しいという類の映画じゃないんですが、切なさが身に染みてくる映画でしたね。
観たあと人に優しくしたくなりました。
コメントありがとう。
また覗きに来てください。
投稿情報: かみぃ@管理人 | 2009年10 月15日 (木曜日) 19:49