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2009年12 月 5日 (土曜日)

【コラム】『マイマイ新子と千年の魔法』はなぜ泣けるのか、についての考察、みたいなもの

 絶賛してやまない『マイマイ新子と千年の魔法』(公式サイト)がたいして話題になることもなく早々と公開を終えそうなのであります。
 今年最後の傑作と断言していい自分としても、この状況はちょっと哀しい。
 ということで、微力ながらもう一押ししてみたい。

 とりあえず現状として、mixiにあげられた片渕須直監督の言葉をそのまま引用しておく。

twitterで泣きを入れました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1354698102&owner_id=2357993&org_id=1353025091

だって本当に泣きそうだったんだもの。
あんなにもたくさんの、
「騙されたと思って、この映画だけは見に行ってやって欲しい」
という書き込みを前に、
「19日以降は関東では上映されてないと思ってください」
なんていわれちゃっちゃあさ。

DVDでじゅうぶんな画面には作ってません。
キャラクターのサイズを小さくしたから、うっかりしたサイズのテレビで見ても、細かいところが見えないんです。
できるだけ劇場でみて欲しいです。

というか、自分自身、まだ劇場で見たことない。
いっつもいつも、はい、舞台挨拶です、はい、楽屋に引っ込んで、で、座席に座らせてもらえなかった。
新ピカの音がすごくいいのは、エンディングの端っこだけ見て痛感してるんです。
あそこで見なきゃ損だよ。

 ということで、都内でもスクリーンで観られるのは長くてあと2週間、ほとんどの上映館は来週末の11日金曜日に公開が終わる。
 ただし出だしでコケているので、現在公開中の映画館でも今日辺りから昼間、へたすると午前中だけの上映になっていると思う。
 なので、平日昼間は仕事勤めという人は、明日6日の日曜日がラストチャンスと思った方がいい。

 やっぱ出だしでコケたのが悔やまれる。そういう自分も最初に観たのは公開から2週間も過ぎてからだったけど。(汗;
 舞台が山口という理由で気になる映画ではあったんだけど、チラシを見て「防府市とタイアップのご当地紹介に、ありがちなちょっといい話を添えた子ども向けアニメ」ぐらいにしか思わなかったのよね。うーん。

 そういう誤解を解くため、あらためてこの映画の魅力について述べてみる。

 まず、この夏にスマッシュヒットを飛ばした、『サマーウォーズ』と題材が被ってるという意見を見かけたんだけど、被っているのは田舎が舞台ということくらいで、『マイマイ新子と千年の魔法』での感動は、同じ細田守監督の作品でも、彼を一躍有名にしたアニメ版『時をかける少女』の方がだんぜん近い。
 「若い頃を懐かしく思い出して主人公の少女たちに共感し、元気をもらって劇場を出られる」という点で。
 自分もそうだが、『サマーウォーズ』はご都合主義的でイマイチに感じた、『時をかける少女』の方が好きという向きには、この『マイマイ新子と千年の魔法』がぴったりはまると思う。

 逆説的だが、この映画だってもちろん万人に受けているわけじゃない。一部には否定的な意見もある。
 その理由として「ストーリーにまとまりがない」「物語が破綻している」「話が平坦でドラマチックな展開じゃない」といった論調があった。
 断っておくが、自分自身、感想は人それぞれと思っているので、感性でそう感じたものを無闇に論破するつもりはない。
 言いたいのは、そういった否定的意見から見えてくるのは、そんな点を許容できるか否か、気にならないか気にするかに、絶賛する人とイマイチと感じた人との境界線があるんじゃないかということ。
 また、賞賛する人でも、「この映画の良さは文章で説明しづらい」「感動するんだけどその理由がよくわからない」といった意見が多いのも、ここに原因があると思う。

 実のところ自分自身、この映画はやっぱりドラマツルギー的には破綻していると思っている。
 この辺が器用に論理的展開をさせる細田守監督の『サマーウォーズ』とは対極をなす部分なんだが、劇作法的視点で評価しようとすると、この映画の良さは「説明できない」「理由がわからない」状況に陥ってしまう。

 例えばこの映画は、肝心のところでのドラマ展開上の“スイッチ”に欠いている。

 クライマックス、ある事件をきっかけに、新子とタツヨシが歓楽街に乗り込んでいく。その行動の“きっかけ”=“スイッチが切り替わる”から、ドラマは展開するし、そのパートをドラマチックに感じ入ることができる。
 しかし、その“きっかけ”があまりに唐突で、きっかけに対するスイッチともいうべき伏線がないという印象を与える。

 ただこれは、全編通して子ども視点でストーリーが進行するという構成ゆえなのだが、映画の見方が劇作法に偏重すると、これがアラに見えてしまう。
 また、そういう理屈をこねない一般の観客であっても、なんとなく気持ち悪い展開に感じるかもしれない。

 さらに、この映画で重要な位置を占める、昭和30年の新子&貴伊子と千年前(平安時代)の少女・諾子(なぎこ)との空想によるつながりにおいても、なんのスイッチもない。
 無用なネタバレは避けたいので詳細は省くが、この映画のエンディングでは、昭和30年の少女たちと千年前の少女たちは確かにつながっている。
 感動できた者なら、その姿を感慨深い思いで見ることができるが、ここに至る流れになじめなかった人には、なぜ彼女らがつながることができたのか、まるでわからなかったんじゃないかという気がする。スイッチが無かったから。

 クライマックスで遂につながったというタイミングは目に見えてわかるが、そこに具体的なきっかけはない。
 強いて言えば「強く願ったから」という抽象的な答えになると思う。
 ここが例えば、文字通り「魔法の呪文を唱えた」とか「マイマイ(つむじ)を○○したから」とか「“写真”を見たから」とかいうわかりやすい切り替えの展開があったなら、なじまなかった人もそんなに翻弄されなかったと思うんだけど、映画はそうはなっていない。「あれっ!?あれっ!?」のうちに急転直下の展開をしてしまう。
 勝手な想像だが、監督はそういったわかりやすい展開を嫌ったんじゃないだろうか。あくまで少女の意志によって、そのハードルを越えさせたかったんじゃなかろうか。

 監督の意図がどうだったかはとりあえず横に置いて、ここでひとつ疑問が湧く。
 この映画がなじまなかった人の、つまずきポイントはこれで説明できるかもしれないが、では、この映画に感動できた人は、なぜスイッチがないのにそういう急展開に納得できているのか。
 言葉は悪いが、監督の勢いに任せた演出に飲み込まれて、気にならないだけかもしれない。いや、そういう力業も演出力だと思うので、肯定的にそう言い切ってしまってもいいんだが、それだけだったらここまでの賞賛の嵐は呼べまい。

 えらく遠回りをしたが、その裏付けこそが、感動の源泉なのだと思う。
 実際、そんな劇的なクライマックスにいたる前に泣けてしまうのだ。
 それはなぜか。

 ひとつには「子どもの頃の原体験を見せてくれるから」というのがあろう。映画評で「懐かしさに胸が熱くなる」と書いたのはそういうことだ。
 しかし、その言葉だけでは説明が不十分。昔の様子を目にするだけで泣けるなら、その時代を描いた映画ならなんだって泣けちゃうことになるが、そんなことはない。
 思うに、ここに出てくる子どもたちが皆、精一杯頑張って生きているから共感させられるという、至極平凡な結論に至った。

 何事にも積極的な新子はもとより、おしとやかなお嬢様に見える貴伊子も決して弱腰ではなく、小学校に香水を付けて行ったり、力ずくで色鉛筆を取り返そうとするなど、彼女なりに精一杯強がってみせる姿は健気で微笑ましい。
 千年前のお姫様・諾子も、退屈でつまらない毎日を打破すべく自ら行動する。無邪気にひとり遊びする姿が愛おしくてたまらない。

 そしてここが大事な点なのだが、子どもたちの努力はちゃんと報われる
 クラスで浮いていた貴伊子は自分を理解し、導いてくれる親友を手に入れるし、諾子の飾った牛車は町の人々に笑顔を生む。
 皆が泥だらけになって造ったダムは、美しい水をたたえもする。
 子どもたちにとっての、なにげない日常のようで、そこには努力と結果という小さなサクセス・ストーリーが繰り返し描かれているのだ。

 そういう一生懸命さに早くに気づき、共鳴してしまう感受性の強い人ならば、始まって間もない段階から泣けてくるということだろう。
 あるいは、子どもらの行動力に、今現在の自分の日々の苦労を重ね、そういう苦労が無駄じゃないと励まされもしよう。

 映画はその一方で、現実の壁に負け、妥協し、退場していく大人たちも描く。それは切なく、やりきれない。が、それを観る我々はそれもまた平凡な日常の一部だと知っている。
 そして、映画の中の子どもたちも、そんな現実の苦さを味わうときが来る。世の中には努力ではどうしようもないことがあることを。

 その涙を誘う顛末はぜひとも劇場で確認していただきたいが、話を戻すと先の千年の時を越えるためのスイッチ、それは、願いを諦めなかった末につながる結末は、種を蒔けば花が咲くがごとき自然の成り行きであり、小さなドラマの積み重ねによって魔法を掛けられた観客には、それ以上の劇的な理由はいらないってことじゃないだろうか。

 さらに裏を返せば、そこに理由を求めない観客こそが、この映画と無二の親友になれたということ。
 だって早い話、友だちになることに理由なんていらないんだもの。

 うーん、また長いだけでまとまりのない文章になっちゃったなぁ。最初のもくろみと違ってきたような気もするし。
 まあ、もうこんな時間になっちょるし、目的が果たせるかは、ようわからんけれど、とにもかくにも、騙されたと思って、この映画だけは見に行ってやって欲しい、ってことじゃね。

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